(訪問日:2015年3月13日)
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川に面した裏口?が入り口 |
「中の家」と書き、「なかんち」とよむ。その昔、渋沢家は、このあたり一体に何世帯も住んでいて、どこの渋沢かというのを表すために、「東の家」「西の家」、その真ん中にある「中の家」というように、家の場所を示していたという。
渋沢栄一は、この「中の家」で産まれる。
一度、火事で建物が焼失し、渋沢栄一の妹夫婦が、家を再建したという。
かなり昔に建てられた家で、農家の家なのだが、今でも生活ができてしまうくらいのしつらいがある。説明によると、屋根に使われている梁は、たいそうな代物だという。
やはり裕福な豪農だったと感じてしまう。
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