1519年9月20日、マゼランは旗艦トリニダー号(110 トン)に乗船し、僚船のサン・アントニオ号(120 トン)、コンセプシオン号(90 トン)、ビクトリア号(85 トン)、サンティアゴ号(74 トン)の5隻船に265名の乗組員を乗せてスペインを出港する。
大西洋を横断した後、南アメリカ大陸に沿って南下
ビクトリア号は、喜望峰を回り、1522 年 9 月 6 日にスペインに帰還した。
なお、このとき、マゼランはスペインに戻っていない。
1521 年 3 月 16 日、フィリピンのサマール島最南端に上陸する。 現地の住民と、マゼラン隊との戦闘になった。1521 年 4 月 27 日、マゼランは戦死する。
「太平洋」の名付け親、マゼラン。
マゼランはこの大海をマール・パシフィコ(El Mare Pacificum 平和の海、太平洋)と名づけた。
9/12/2017
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