- P.35 毎月1日・15日・28日は登城日となっていて、江戸在府中の殿様は、江戸城に行かなければならない。その日は通勤ラッシュとなった。
- P.42 殿様のスケジュールはきっちりと決められていて、寝る時間・起きる時間や食事も決まっており、意外と窮屈な生活だった。隠居した後の方が、外出など、自由にできた。
- P.47 殿様と一緒に江戸に来ている侍「勤番侍」は、藩屋敷からの外出は月4回だけ。午後6時までには戻ってこないといけない決まり。午後6時に遅れると、国元に強制送還。
- P.51 勤番侍の外出の例外として、医者に診てもらうときは外出できたので、江戸の祭りの日などは、仮病の人が多かった。
- P.61 参勤交代は、諸大名が江戸で過ごすために必要な物資を、江戸で調達するということになり(自分の領内から持って来るよりも運送費が節約できる)、その経済活性化のメリットが大きい。
- P.65 江戸で市場規模が大きかった商材は「茶葉」「畳」「和菓子」。
- P.71 大名屋敷で諸費する米は、自分の領内の年貢米を持ってきた。ただし、精米は江戸で行わなければいけないという決まりがあった。
- P.72 大名屋敷で使う野菜は、買う以外に、屋敷内で栽培もしていた。請負農家に委託。
- P.77 大名屋敷の排泄物は重宝された。食事がいいので、栄養価が高く、肥料として価値があった。
- P.77 その大名屋敷の排泄物を、農民らが、野菜と交換したり、あるいはお金を払って買い取り、汲み取った。
- P.97 各大名屋敷に、汲み取りを行う、御用聞きの農家がいて、汲み取り以外にも、庭園の整備、馬、馬の飼料、人足なども扱った。
- P.109 汲み取りビジネスは、需給バランスにより、藩に納める汲み取り料が、収入を上回ることもあり、その場合は自腹を切って、払うこともあった。サイドビジネスで補填していた。
- P.132 ペリー来航時、江戸幕府から藩に警備強化が命じられ、必要な馬や人足などの調達で、御用農家はよい臨時収入になった。
- P.135 開国後、イギリスとフランスが、中国との戦争用に、馬を日本で調達しようとした、幕府は、馬の大量流出を恐れ、制限を設けた。イギリス・フランス、それぞれ1000頭まで。
- P.139 イギリスとフランスが、中国とのアロー戦争で勝利したのは、日本が兵站基地として機能したから。
大名屋敷の謎 (集英社新書)【読書メモ】
本の名前に惹かれて読んでみたら、途中から大名屋敷の廁の「汲み取り」ビジネスに論点が変わり、あまり「謎」には触れられていない。
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