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沖縄の「久米」の謎

沖縄の久米島と久米村について。
沖縄の「久米」の謎
渡来人と関係が深い「福州園」




沖縄の泊港に近いホテルに泊まると、沖縄の離島に行くフェリーの様子が、ホテルの部屋から眼下に眺めることができる。

沖縄の泊港は、以下の離島行きの定期便がある。

  1. 渡嘉敷島
  2. 座間味島
  3. 阿嘉島
  4. 粟国島
  5. 久米島
  6. 渡名喜島
  7. 北大東島
  8. 南大東島


久米島行きのフェリーは大きい


なかでも、久米島行きのフェリーは大きい フェリーに積み込む荷物を見ていると、他の島へ行くフェリーよりも量があり、それだけ人や物の行き来がある大きな島なのかと思った。


久米島概要


久米島には、まだ訪れたことがなく、概要をまとめると
  1. 人口:8,013人、3,982世帯(2017年4月末現在)
  2. 面積:59.53㎢
  3. 沖縄本島から100km離れている。フェリーでは3~4時間、飛行機で35分。
  4. 沖縄県内で沖縄本島、西表島、石垣島、宮古島に次いで5番目に大きな島
  5. 車海老の生産量日本一
  6. 水が豊富で、古くから沖縄県では米所として知られた

なるほど、たしかに規模が大きい島。


「久米島」の名前の由来


琉球の中で最も美しい島として、「球美(クミ)の島」と呼ばれていた、水が豊富なことから稲作が盛んだったことから「米の島」と呼ばれた。




沖縄のエリート部落「久米村」との関係は?


沖縄に、琉球王国があったときに、那覇の近くに「久米村(クニンダ)」という、 多くの政治家、学者等を輩出していた村があった。今でも、那覇市久米、という地域名として存在する。


久米村
1392年に明の洪武帝より琉球王国に下賜されたとされる閩人(現・福建省の中国人)の職能集団、及びその後三百年間にわたり閩から渡来した者や首里・那覇士族から迎え入れた。「久米三十六姓」ともいう。

本土の「久米」という苗字や名称の由来は、


「久米」という苗字の語源は、古代の久米部の居住地や部族名、「くめ」は米のことで農耕族につけられた名称、湾曲した地形などからきている。地名としても全国に多く存在する。

「くめ」と言う名前の初まりは、飛鳥時代の来目王(くめのおう)又は来目皇子(くめのみこ)「聖徳太子の弟」から。

「久米部」
来目部とも書く。大和(やまと)政権下の軍事的職業部の一つ。中国・四国地方に多く東国には少ない。

こうしてみると、 久米島と久米村は、名称が同じだけで、直接は関係ない?

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